ある日突然ひらめいて、クルミちゃん小箱作りに挑戦!
まず、使うクルミちゃんを選び出し、、試作から、、
ファイルを開いて、、あれこれと、、迷いながら、、
取り敢えず好きなクルミちゃんで、始めましょう!!
季節柄クリスマスのデザインも外せませんね~~

やっと!蓋の部分の完成で~す!!
回りのリボン、ブリーンにしようかな?赤にしようかな?

内側はこんな感じよ!

クリスマスの小箱の完成~~~
このサンタクロースまるで、、誰かさん!の様だわ~~
孫の手で背中掻いてるのよ~~(笑)

今日は取り敢えず、、2つ完成です!!

あんまり可愛く出来たので、、かつぢのグッズに入れようかな~~
試しにプリントした紙で(捨てちゃうの可哀想だから)封筒も作ちゃった!

拍手してくれたら嬉しいな~~~
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- 2007/11/26(月) 22:46:48|
- 可愛いね!
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久しぶりに かつぢ装丁集の続きをお送りしましょう。
msion 投稿日:2006年12月 3日(日)
「モダン小公女」偕成社 昭和23年8月発行。
由利聖子は戦前の「少女の友」に永年(微笑小説)を書き続けた作家です。
角書き通り、微笑ましく上品な良質のユーモア小説でしたが、
昭和18年だったでしょうか、若くして亡くなりました。

msion 投稿日:2006年12月 6日(水)
「チビ君物語」由利聖子作 東和社 昭和24年12月発行
由利聖子さんの挿絵はこの頃描いて作品の中でも、最も『かつぢ』らしさが出ている様なきがします。
戦前戦後にかけて描く『かつぢ』の少女達は様々と変化して行きますが、、
このタイプのユーモアタッチの絵が『かつぢ』ならではないでしょうか。
本人も大変ユーモアーに富んだ人物でした。

msion 投稿日:2006年12月 7日(木)
「愛の魂」ロッシー・秀子作 久晃堂 昭和22年3月発行。
珍しく右向きの横顔で、描き方もリアルなタッチですね。

msion 投稿日:2006年12月 8日(金)
絵を目当てに集めるだけで、中を読む事はありません。
ただひとつだけ、あまりに可愛らしいものがあったので、
読んだものがありますが、それは今度タイミングを見て貼り付けますね。
「美しき虹」吉田絃二郎著 東光出版社 昭和23年11月発行。

msion 投稿日:2006年12月 9日(土)
「光はいづこに」横山美智子著 新浪漫社 昭和23年10月発行。

msion 投稿日:2006年12月10日(日)
「みどり輝く」横山美智子著 文陽社 昭和24年2月発行。
素敵な絵ですね!

msion 投稿日:2006年12月11日(月)
「続チビ君物語」由利聖子著 東和社 昭和24年2月発行。

msion 投稿日:2006年12月14日(木)
「友情の曲」横山美智子著 太和堂 昭和23年9月発行

msion 投稿日:2006年12月15日(金)22時55分17秒 返信・引用
「若草物語」矢田津世子訳 金の星社 昭和24年4月号

msion 投稿日:2006年12月16日(土)
「パパおしょうさま」紅ゆり子著 文陽社 昭和24年7月発行
如何ですか!すばらしいですね~~
全てmsion様のコレクションのほんの一部なんです。
まだまだありますが、今日はこの辺で、、
良かったよ!って思って下さったら、ポッチっと押して下さると嬉しいです!
- 2007/11/07(水) 22:20:58|
- かつぢ装丁集より
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この挿絵はおそらく戦時中のものとおもわれます。まだ私たち姉妹が生まれる前のことですね。従軍看護婦として戦地に赴いた乙女が激しい戦火の下で砲声を聞きながら故郷に手紙を書いているところでしょうか・・・・・

次女の明子です。久しぶりに“父かつぢ”について書いてみようと思います。とにかく逸話の多いひとでした。特に食べることに関しては極上の味覚をもった人で、この季節になるとそろそろ鰌ですね。そうそう、“どぜう”です。
一日の仕事が終わると着流しにもじり(男性用の着物のコート)を羽織って駒形まででかけるのです。今では渋谷でも食べられますがその当時(今から50年も前のことですよ!)はバスに乗って電車を乗り継いで浅草の先までいくわけですから大変なことですが、好きなものを食べたいという情熱は人一倍でしたね。大好きな剣菱かキクマサでいっぱいやりながら柳川鍋をつついている親父さんを想像するとついこの間の事のようにおもえます。帰りは夜半になるのが常できちんとかぶって出かけたはずのハンチングがあみだになって懐手をした父がご機嫌で“とにかくおれはもてるよ!”と庭先で体をゆらゆらさせていたのをおもいだします。きっといいことがあったのでしょう。確かに子供心にも素敵な父でした。父はお酒が好きでしたがいわゆる“酒に飲まれる“人ではありませんでしたから酔って乱れた姿を見たことがありませんでした。ダンディなひとでした。その辺がもてた所以でしょうか。
或るときこんなことがありました。“そんなに好きなら私も作ってみようかしら”と料理の好きな母が生きたドジョウとお豆腐をかってきました。よせばいいのに…。
お鍋に豆腐を入れそこへ洗ったドジョウを入れ蓋をしたまでは良かったのですがガスの火をつけたとたんにドジョウは大騒ぎ! きゅうきゅうと悲鳴を上げながら冷たい豆腐の中に逃げ込もうとするのですからたまりません。母は耳をふさいで逃げ出してしまいました。その後のことはご想像にお任せします。
父は歯が丈夫で亡くなるまで入れ歯が一本もありませんでした。秋になると絵筆を止めて庭の柿の木からよく色ずいた柿の実をもいでは絵の具やインクのしみついたズボンで拭いてガブリと丸かじりをするのが大好きでした。庭には種類の違う何本もの柿の木があったのを思い出しました。そうだ!あの頃毎日台所から出る生ゴミを柿の木の根元を掘って埋めるのは私の仕事だったことも思い出した。アー懐かしいな、あの頃が
- 2007/11/03(土) 12:03:14|
- 思いで
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