英語版ウィキペディアに『松本かつぢ』が登場しました!!
それは、ある日突然、
京都精華大学マンガ学部助教授『マット・ソーン様』からのメールでした。
英語版の方で『松本かつぢ』についての記事を書き、英語圏の人たちにも松本かつぢを紹介
したいのだけれど幾つか,質問を?、と言う問い合わせでした。
勿論OKのお返事とご質問に御答えさせて頂きました。
全てが英語ですが、絵入りの記事でとても分かりやすく、素敵なサイトにして頂きました。
マット・ソーン様のお話ではいずれ、日本語版でも作って下さるとか、、嬉しいですね。
おやゆび姫
松本かつぢ←ここからご覧に慣れます。
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- 2008/07/24(木) 22:17:11|
- 嬉しい事
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ギャラリーからのおしらせです!
『御陰さまで、二子玉川の[ギャラリー松本かつぢ]は本年八月で満5年を迎えます。
そこで、諸般の事情をかんがみてその運営方針を変えてみようと思っています。
まず、そのネーミングをギャラリーから資料館にします。
つまり館の方の都合で選んだ作品の展示が主でなく、皆さんの見たい作品を見て頂く、、、
”あの頃のケティーちゃんにもう一度会ってみたい”とか、最近発見された冒険満画”?のクローバー”を全部見てみたい。
或は、まだかつぢの作品にあまりお目にかかった事のない人は、当館の所蔵作品リストから、これとこれを見てみたいと所望されれば当館のスタッフが御出しして、お目にかけるという風に来館者及びファンの皆様の希望を主とし、より身近にかつぢの作品に親しんで頂きたいと思っています。
開館日・時間帯は今迄と同じです。
但し、スタッフつきの資料館の利用料を含む入館料は¥500とし大人同伴の子供さんは無料です。
尚準備のため、八月いっぱいは、休館とさせて頂きます。
7月吉日 代表 二森』
代表 二森 騏 5716-5620 宇津原 ミチエ3707-3503
- 2008/07/20(日) 21:08:55|
- お知らせ
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以前、
赤い風船の
記事を書いた事がありましたね~
画面一杯に風船が飛んで来る、、夢の様なサイト!
その風船を幾つかクリックすると偶然にヒットして、プレゼント応募サイトに
飛んで行く事が出来たんです!
ダメ元で応募しておいた所から、赤い風船が送られてきました
見知らぬ所から、空箱の様に軽い段ボールの包みが送られてきました!!
一体何かしら????てちょっと、ドキドキしながら開けた所、、
中から真っ赤な風船が、、、わ~~~~~い


『映画に登場する風船とは異なりますが、“ふわふわ”と浮かぶ風船を、どうにかしてお届けしたいと思う気持ちから、通常の風船ですとお届け迄にガスが抜けて
しぼんでしまう恐れが有るため、特別仕様のアルミ風船を使って、ふわふわと
浮かぶ風船をお届けするように致しました。』
とのコメントと一緒に割引券まで、、
心の暖まる、嬉しいプレゼントでした、、
今も部屋の片隅で、ふわふわ浮かんでます
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:ニュース
- 2008/07/12(土) 00:18:26|
- 嬉しい事
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七夕の絵を見た姉から、、新しい原稿が送られてきました。
テーマは
『父の夏』
我が家の夏の昼食は殆ど毎日と言っていいほど“茶がゆ”と決まっていた。
父がめっぽうそれが好きだったからだ。父は関西の出身で、子どもの頃から食べ慣れていたようである。
そもそも残りご飯を無駄にしないための工夫だったと思うが、暑い夏、食欲が落ちた時でもさらさらと喉を通る、あのひんやりした食感は忘れられない。
家電製品が発達した現在では、そうした工夫の喜びがすっかり姿を消してしまった。
子どもの頃、茶がゆを作るのは私の仕事だった。朝食の片付けをしながら大きなお鍋に湯を沸かし、そこへ冷や飯を入れコトコトと煮る。ほどよく煮えたら、別に入れておいたほうじ茶をたっぷり注ぎ、塩を一つまみ入れて火を消す。風呂場でタライに水を張り、粥を煮た鍋を浮かべ、時々水を取り換えながら冷やす。時間をかけてひんやり井戸水で冷やされた茶がゆには塩昆布や古漬のかくやなどがよく合った。
パンツ一枚の裸姿で肩に濡れたタオルをかけた父がおいしそうに茶がゆを食べ、騒がしく鳴く蝉の声に“夏はいいなあ”と楽しんでいた姿は瞼に鮮明にやきついている。
そしてもうひとつ、父の夏といえば“水風呂”である。父は仕事の途中でも暑くなると水風呂に飛び込む。しかし汲みたての井戸水は冷たすぎる。そのためいつでも風呂桶にはあらかじめ水を汲んでぬるくしておく必要があった。我が家はその頃、手押し式の井戸を使っていたので四角くて大きな風呂桶に水を汲むのは容易なことではなかった。誰もやりたがらなかった。私などは自分の鎖骨が異常に発達したのは、大事な成長期にあの過酷な水汲みをさせられたせいだと今でも思っている。
或るとき、あまりに辛いので椅子を持ってきてその上に立ち、井戸の取っ手に足を紐で縛りつけ本を読みながら足で汲んでみた。それを見た父は叱らずに“お前さんには負けたよ”と笑った。しかし結果は失敗、やはり何事も全身でやらなければうまくいかないものだということがわかった。
その当時まだ日本の家庭にはエアコンなどというものはなく、各家では涼をとるべく様々な工夫をした。我が家では夏になるとまず、建具が全部外され、すだれがそれに代わった。部屋の中には端を布でくるんだ細い割竹の長いもの、軒下にはごつごつした丈夫そうな竹の短いものがかけられた。夕方になるとすだれを通った風が“明珍の風鈴”をならし、いかにも涼しげだった。まさに夏の風物詩と言える。
すだれと言えば思い出すことがある。父には変な癖があって、夕方散歩に出ると、まだそう遠くへ行かないうちに戻ってくることがよくあった。道に落ちている釘や針金を見過ごすことができずに、拾って一度家に置きにくるのである。小さな引出が沢山ついた桐の低い箪笥に分類してしまっておき、夏になるとそれらが大活躍するのである。
父はもともと生活の知恵が大変豊富な人だった。軒下のすだれが折からの強い風でバタバタしたり、あるいは出入りに邪魔な時、瞬時に巻き上げるためのフックを作ってみたり、夜蚊帳を吊る時、部屋の中央に下がっている電灯ののコードを短くする道具を作ってみたり…さしあたり今なら、日曜大工センターにでも行けば簡単に手に入りそうなものだが、その当時はそんな店もなく父の作った道具は大変重宝した。父が亡くなった後、その桐のタンスはお弟子さんの一人に差し上げたと聞いた。
そういえば父の仕事机の周りにはアイデアいっぱいの使いやすいものが沢山あった。例えば浅いアルミのお盆を無数に使った、絵筆、色鉛筆、絵の具などを入れるひきだしや、机の真ん中を四角く切り取ってガラスをはめ、下から蛍光灯を照らすトレーサーなど、近所に住む建具屋さんが父の良き協力者だったこともさいわいした。
なぜかこの頃、整然とした、そして夢のある父の仕事机をよく思い出す。いくらでも便利なものが簡単に手に入る世の中になったが、父の創意工夫の精神はしっかり子供達にうけつがれているように思うし、最近では父がこよなく愛した骨董家具の店を自分で始めた私の息子に父の影を見ることがよくある。
- 2008/07/03(木) 22:02:38|
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もうすぐ七夕ですね、今ギャラリーではこんな絵が飾られています。

夏の大好きだった父、夏になると嬉しそうにニコニコしてた父の顔を思い出します。
クルミちゃん、カッチャン、みーちゃん、短冊に何をおねがいしたのかしら、、、
3人とも嬉しそう~~~
『小学1年生7月号』と下の方に赤鉛筆で記されています』
- 2008/07/02(水) 22:12:50|
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